両蒋文化園区
慈湖陵寢
慈湖は元々埤尾と呼ばれていました。百吉トンネル出口が洞口とも呼ばれ、蒋介石はこの地が 故郷の景色に似ていたことからこよなく愛し、1959 年には慈湖行館を完成させ、慈愛深い母、 王夫人を思い、1962 年に慈湖と改名しました。
1975 年に没後、ここに葬られてから、慈湖陵寢と改められ、陵寢は背後には山が正面には水 があり、坐北朝南(北にある山を背に南に向いて座る)に位置し、四合院閩浙形式の赤レンガ造 りの平屋を真似て造られ、左右の丸い洞門は院の側方に続き、後方の山壁には防空避難所が設 置されています。
湖旅客センター
慈湖謁陵駐車場に向かった傍に位置し、外観は赤レンガの低い平屋となっており、内部には蒋 公生前の数多くの事跡が写真で展示されており、貴重な本物の書道作品や再現された衣服は十 分に見応えがあります。
すぐ傍の展示販売センターでは、色々な蒋両名の記念品が販売されて おり、中でも今流行のキュートなフィギュアや、蒋夫人の大好物であった蜜梅糕などの商品が 最も人気があります。
百吉林木陰の歩道
慈湖の後ろの百吉林歩道は軍事管制区だったが、地元の人たちの尽力で地方観光促進のため 1998 年に開放された。歩道内では多くの美しい景色が見られ、自然も豊かで、最も高い所か らは山と大渓の全景を眺めることができる。